茶屋四郎次郎・同新四郎屋敷跡

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資料名  :茶屋四郎次郎・同新四郎屋敷跡
資料コード  :1800011
分野  :歴史 
分野2  :立札
時代・年  :1586年~
地域  :京都市
概要(フリーワード)  :茶屋は屋号で本姓は中島といい、代々四郎次郎を名乗った。初代清延以来、清忠・清次と続いた。その間、海外貿易にも手を広げ、業名は遠く万里の波濤にまでとどろいたといわれる。

「近世初頭、朱印船貿易商・糸割符商人として活躍、徳川家康の側近として政権確立に大きな役割をはたし、京都商人総筆頭として、角倉・後藤とともに京都三長者と称された茶屋四郎次郎清延の屋敷跡。
清延の三男新四郎長吉は天正14年(1586)上洛した家康に茶屋屋敷ではじめて謁見したが、のち当屋敷を譲られる。
天明8年(1788)京都大火で類焼した。茶屋家は本名を中島氏といい、中世の名門小笠原貞興の子孫といわれる。清延の父明延は京都に住み、将軍足利義輝が訪れて茶を喫したことから茶屋の屋号が生まれた。
新四郎長吉は慶長19年(1614)家康の命で尾張徳川家に仕え、尾州茶屋家を創立、本家同様幕府呉服師を拝命する一方尾張藩主に近侍しその召服御用を勤めた。
尾州茶屋家は安南貿易でも活躍、名古屋の茶屋町に広壮な邸宅を営み、江戸にも数カ所の屋敷を拝領、別格で高貴な家柄を誇った。
当地は明治4年(1871)まで尾州茶屋家が代々所有していた。」
<引用 百足屋町町内会 公益財団法人南観音山保存会>
撮影者  :谷口幸子
撮影日  :20180506
著作権者  :谷口幸子