資料名 :教諭所(宣教館)跡
資料コード :1800021
分野 :建造物 歴史
分野2 :立札
地域 :京都市中京区
概要(フリーワード) :教諭所は、天保4年(1833年)に皆川淇園(みながわきえん)門下の北小路梅荘(きたこうじばいそう)が、「室町竹屋町上る」の町屋に開校したのが始まり。数年後衰退し中絶をした。教諭所が再開されたのは、天保9年7月、東洞院三条下る住心院地内に新築、開講された。京都中の心学講社の後援で、豪商らからの基金積立ては金400両にも達し、当時の京都所司代であった間部詮勝は、「宣教館」の自筆額(現日彰校保存)を与えて激励した。
授業は、経書講釈や心学道話が行われ、授業のほかに、飢民救助などの社会事業に積極的に参加したのが、教諭所の教育運動の特徴とされている。
元治元年7月の蛤門の戦いで起きた大火で教諭所は消失した。翌2年2月、東洞院三条西北角に再建された。維新後、明治2年(1869年)2月、下京四番組中の小学校となり、教諭所は消滅した。
授業は、経書講釈や心学道話が行われ、授業のほかに、飢民救助などの社会事業に積極的に参加したのが、教諭所の教育運動の特徴とされている。
元治元年7月の蛤門の戦いで起きた大火で教諭所は消失した。翌2年2月、東洞院三条西北角に再建された。維新後、明治2年(1869年)2月、下京四番組中の小学校となり、教諭所は消滅した。
撮影者 :谷口幸子
撮影日 :20180506
著作権者 :谷口幸子