資料名 :廣野了頓邸跡 将軍御成門跡
資料コード :1800007
分野 :歴史
分野2 :立札
時代・年 :安土桃山時代
地域 :京都
概要(フリーワード) :京都市中京区の六角通りから北の三条通りまでの一帯には、安土桃山時代の茶人、廣野了頓の邸宅があったといわれている。
廣野家は足利家代々の従臣で、将軍義輝の時にこの地を領有した。
了頓は、ここに茶亭を構え茶道を広め、豊臣秀吉もしばしば訪れたといわれている。
了頓は、一般人が六角通り~三条通りまでの自邸内を通り抜けることを許し、この小道は「了頓図子(ずし」と呼ばれたという。この辺りの町名は、了頓図子町と呼び、この了頓の計らいを今に残す。
六角通面の町が玉蔵町であるため、玉蔵辻子とも称されたこの路は、夜間には通行を禁じ、表門を将軍御成門と呼んだといわれる。
廣野家は足利家代々の従臣で、将軍義輝の時にこの地を領有した。
了頓は、ここに茶亭を構え茶道を広め、豊臣秀吉もしばしば訪れたといわれている。
了頓は、一般人が六角通り~三条通りまでの自邸内を通り抜けることを許し、この小道は「了頓図子(ずし」と呼ばれたという。この辺りの町名は、了頓図子町と呼び、この了頓の計らいを今に残す。
六角通面の町が玉蔵町であるため、玉蔵辻子とも称されたこの路は、夜間には通行を禁じ、表門を将軍御成門と呼んだといわれる。
撮影者 :谷口幸子
撮影日 :20180421
著作権者 :谷口幸子