資料名 :悲田院の遺址
資料コード :1800002
分野 :建造物 歴史
分野2 :遺址
時代・年 :平安時代
地域 :京都
概要(フリーワード) : 中京区河原町御池の交差点南西角(京都府京都市中京区下丸屋町)に、財団法人古代学協会が立てた「悲田院の遺址(ひでんいんのいし)」という案内板がある。
悲田院(ひでんいん)とは、仏教の慈悲の思想に基づいていて、貧しい人や孤児の救済をするための福祉施設をいう。聖徳太子が貧しい人や孤児を救うための施設として、建てられたのが始まりといわれている。
平安時代、この地には、東悲田院が置かれたという。 左京、右京に各々1つ置かれた。左京には東悲田院があった。左京南辺端、鴨川河原近く、東京極大路の東、北は三条坊門末路、南は姉末路、現在の本能寺付近にあったとみられている。右京には、西悲田院があった。九条大路の南、佐比末路の西、馬代末路の東、現在の南区吉祥院三ノ宮町付近とみられる。
そのひとつとして残った遺址が地下鉄・京都市役所前駅の地上出口にある。現在の悲田院は精神の安定を求める寺院として泉涌寺の山内にある。
悲田院(ひでんいん)とは、仏教の慈悲の思想に基づいていて、貧しい人や孤児の救済をするための福祉施設をいう。聖徳太子が貧しい人や孤児を救うための施設として、建てられたのが始まりといわれている。
平安時代、この地には、東悲田院が置かれたという。 左京、右京に各々1つ置かれた。左京には東悲田院があった。左京南辺端、鴨川河原近く、東京極大路の東、北は三条坊門末路、南は姉末路、現在の本能寺付近にあったとみられている。右京には、西悲田院があった。九条大路の南、佐比末路の西、馬代末路の東、現在の南区吉祥院三ノ宮町付近とみられる。
そのひとつとして残った遺址が地下鉄・京都市役所前駅の地上出口にある。現在の悲田院は精神の安定を求める寺院として泉涌寺の山内にある。
撮影者 :谷口幸子
撮影日 :20180418
著作権者 :谷口幸子