資料名 :新京極通り〈戦前彩色絵葉書〉
資料コード :1800032
分野 :歴史 写真
分野2 :絵葉書
時代・年 :明治
地域 :京都
概要(フリーワード) :1872年(明治5年)槇村正直(京都府参事)によって作られた通り。
時宗十二派(じしゅうじゅうには)の四条派の金蓮寺が、18世紀末から寺域の切り売りをはじめ、明治以前に売却地に料亭・飲食店・商店・見世物小屋が建っていた。
隣の寺町通(寺町京極)に集まる寺院の境内が、縁日の舞台として利用されるようになり、人が多く集まったため、各寺院の境内を整理し、寺町通のすぐ東側に新しく道路を造ったのが新京極通のはじまりである。
明治の中頃には芝居小屋などが建ち並び、現在の繁華街の原型ができた。
現在は、修学旅行のコースに取り入れられるようになったため、修学旅行の中高生の行き来の絶えない所となっている。
また、近年では、観光客向けの土産物店の他、飲食店、ファッション洋品店が混在し、若年層向けの店舗が目立つようになり、新しいニーズに合った街へと変貌しつつある。
時宗十二派(じしゅうじゅうには)の四条派の金蓮寺が、18世紀末から寺域の切り売りをはじめ、明治以前に売却地に料亭・飲食店・商店・見世物小屋が建っていた。
隣の寺町通(寺町京極)に集まる寺院の境内が、縁日の舞台として利用されるようになり、人が多く集まったため、各寺院の境内を整理し、寺町通のすぐ東側に新しく道路を造ったのが新京極通のはじまりである。
明治の中頃には芝居小屋などが建ち並び、現在の繁華街の原型ができた。
現在は、修学旅行のコースに取り入れられるようになったため、修学旅行の中高生の行き来の絶えない所となっている。
また、近年では、観光客向けの土産物店の他、飲食店、ファッション洋品店が混在し、若年層向けの店舗が目立つようになり、新しいニーズに合った街へと変貌しつつある。
所有者 :谷口幸子
撮影者 :谷口幸子
撮影日 :20180926
著作権者 :谷口幸子